コロナ禍で学んだこと

たくさん書いたけど、単なる書き溜めたつぶやきなので、見逃してください。
・不要不急の物や活動で経済が成り立っていること。つまり、人にとって、不要不急の物や活動は、生きていく上で必須だったこと。さらに、仕事をすることは生きていく上で大事なことだが、仕事をすることそのものが大事なのではなく、仕事をした結果として得られる不要不急の物や時間や状態が大事なのだと確信したこと(仕事が終わった後に飲む冷たいビールの一口目のために仕事をする みたいな)。コロナ禍での”不要不急”とは、”生存するためには不要なこと”という意味。ということは、人は、”生存するためには不要なこと”のために一生懸命働く動物であるということ。
・一方、人が生存するのに必要なことが、ハイライトされていなかったこと(医療用具の海外依存、感染対策のインフラの脆弱さ、保健所の役割の認識不足、行政のデジタル化の遅さと品質の悪さ、教育のデジタル化の遅れ、リモートワークではうまくいかないという間違った認識等々)。それらは、軍事防衛政策と同等であることが認識されていなかったこと。
・社会的距離(物理的距離)を取ると、混雑しないので、できれば、常時、混雑しないようにはできないか と思ったこと。つまり、売上の面積単価をあげると儲かるのであるが、混雑することで人は不快になるわけで、”混雑しない”で、まあまあ生きていければいいんじゃないか という考え方にはなかなかなれないのかなぁ と思ったこと。
・自由とは、コンセンサスの上に成り立つもので、コンセンサスが得られれば、個人の自由を束縛するような措置も不快ではないこと。また、個々人勝手に行動すること=コンセンサスを得ていない行動は、”不自由”に向かうということ。つまり、社会的生き物であるヒトの”自由”の定義がほんの少し見えたこと。
・お金をたくさん社会に出しても、インフレにはならず、景気は悪くても、人々の生活がまぁまぁ維持されているように見えること。加えて、お金持ちの方々は、不安の中、余ったお金を、株や金に変えるのでそれぞれ相場があがること。貧乏人はお金を使い、お金持ちはお金を使わない。ということは、経済をさせているのは実は貧乏人 ということなんだな。
・人類は、協力する(コンセンサスオリエンテッド)ことで勢力を広げてきたにも関わらず、コンセンサスを得る面倒さから逃れるために、いろいろな社会システムや技術を開発して、”ひとりでも生きていける”ように不要不急の物やサービスを生み出してきたのでは。つまり、”豊かなくらし”とは、”ひとりで生きていくくらし”ということで、そらぁ孤独になるわな。でも、ヒトは孤独を好まない。
・無観客の野球中継を見ていて、草野球に見入っているときのことを思い出し、プロ野球を見るのが面白いというよりも、野球を見るということが面白いのだということに気づいたこと。つまり、野球に限らず、他人がスポーツやゲームをやっているのを見るのが好き というヒトの特長があって、その上にプロスポーツがなり立っているということ。草野球を中継しても、見入ってしまうのでは。